本サイトはアフィリエイトプログラムを使用しております。ページ内のリンクを経由して商品の購入が行われた場合、売り上げの一部が制作者に還元される可能性があります。商品の詳細情報については販売ページでご確認ください。
Le Corbusier(ル・コルビジェ)LC6 ガラスダイニングテーブル
楽天ショップ硝子の天板が特徴のコルビジェテーブル。
スタイリッシュなデザインです。
シャルル エドゥアール ジャンヌレ(Charles Edouard Jeanneret)/LC6 タブルー・デ・アビヨン
*ミッどセンチュリーテーブル販売店:KaGu Le Corbusier(ル・コルビジェ)LC6 ガラスダイニングテーブル
Modern Plus Design Room
テーブル
食事やティータイムの中心に存在するのはテーブルです。毎日目に触れる大きなインテリアに、こだわりのデザインを添えましょう。
ル・コルビジェのテーブル
ル・コルビジェ(Le Corbusier)
ル・コルビジェ(Le Corbusier)は近代建築の四大巨匠(フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウスと共に)の1人である。
特に1920年代の近代主義建築の成立において、造形上に大きな功績を果たした。
本名をシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)。フランスで活躍したスイス生まれの建築家である。
終始モダニズムの論客として、新しいビジョンを示す論陣を張ってきた彼は、実作においては自由な芸術家としての立場を貫き、必ずしも常に論理性を重視しているとはいえない。しかし、作品の独創性や新規性により、そうした矛盾を問題視させない能力があったといえる。
鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性をモットーとしたモダニズム建築の提唱者である。
ル・コルビュジエの、「住宅は住むための機械(machines a habiter)」という言葉はよく引用される。
近代建築の五原則[ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面](新しい建築の5つの要点とも呼ばれる)を主張。
石積みなどが伝統的だった西洋において、コルビジェはドミノシステム(スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするもの)を考案した。
1997年4月から発行されている10スイス・フラン札には彼の肖像と作品が描かれている。
ル・コルビジェ(Le corbusier)の歴史
時計職人を養成する美術学校で学んだが、大学における正規の建築家教育は受けていない。パリのオーギュスト・ペレやドイツのペーター・ベーレンスの事務所などで、建築を学んだ。
1920年パリに戻り、雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」(L'esprit Nouveau)を創刊、この頃からル・コルビジェというペンネームを用いる。
1922年に事務所を構える。
1925年のパリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では装飾のないモダニズム建築のエスプリ・ヌーヴォー館を担当、アール・デコ様式の展示館が並ぶ中で異彩を放った。
また同年、パリ市街を超高層ビルで建て替えようという都市改造案を発表した。
1927年、ドイツ工作連盟主催の住宅展に参加。
1928年以降に開催されたCIAM(Congres International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)では、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。
ル・コルビジェの主張する「近代建築の5原則」を体現した最初の作品はクック邸である。1931年竣工のサヴォア邸でより完成度の高い典型例を示し、代表作として知られている。
第二次世界大戦後、ドミノシステムに基づく集合住宅マルセイユのユニテ・ダビタシオン(L'unite d'habitation de Marseille)を建設(1947年-1952年)。ユニテは住居単位を意味し、かつて主張した「輝く都市」の実践であった。またインドのチャンディーガルの都市計画に関わった。
晩年の代表作ロンシャン教会(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。ここでは従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。造形を特に強調し、それまで主張していたモダニズム建築からかけ離れた作品として注目される。
ル・コルビジェの都市計画
都市計画の分野でもパリ改造計画案(低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、パリでは採用されなかったが、これ以降の各国の都市計画に大きな影響を与えた。「輝く都市」)を発表したほか、CIAM 第4回会議でル・コルビジェらが提案したアテネ憲章(1933年)は、公開空地など、以後の都市計画理論に多大な影響を与えた。後にはチャンディーガルなどで実践している。
ル・コルビジェの家具
ル・コルビジェは、建築家キャルロット・ぺリアンに、彼のスタジオに加わるよう勧めた後の1928年、家具設計の実験を始めた。
コルビジェの従兄弟ピエール・ジェニレッタも、多数の設計に加わった。
ル・コルビジェはぺリアンの到着前、プロジェクトへの供給をシンプルな既成家具に頼っていた。
1928年、ルコルビュジェとペリアンは、ルコルビジェが本に著した家具の、実地への期待を置き始めた。
コルビジェはこの本で、家具における3つの異なるタイプを定義した。
- type-needs
- type-furniture
- human-limb objects
共同の最初のものはヘンリーとバーバラ教会のための2つのプロジェクト、パリのメゾンラ・ロッシュ家、およびパビリオンに設計された3つのクロムメッキの管状の鉄のイスだった。
家具のラインは、家庭のためのLe Corbusier's 1929 Salon d'Automne installation Equipmentの為に拡大された。
ルコルビュジェがまだ生きていた1964年の、ミラノのCassina S.p.A.は彼の家具デザインを製造する独占的な世界的な権利を取得した。
今日、多くのコピーが存在するが、CassinaはFondationルコルビュジェによって権限を与えられた唯一のメーカーである。
単純な構成で快適さを求めたコルビジェの家具は、GRAND CONFORT(大いなる快適)と呼ばれLC3、LC4(椅子)は特に有名である。
- LC1「バスキュラント」 スリングチェアという名で有名。背が回転し、傾斜角度も変えられる。可動する背もたれを、バスクール・ブリッジ(ハネ上げ式の橋)にたとえて「ドシエル(背もたれの意)・バスキュラント」と呼ばれている。
- LC2「グランドコンフォート」 金属パイプのフレームに革のクッションをはめ込む様式のソファ。大型ソファの基本モデル。
- LC3「グランドコンフォート」 LC2をより広く低くモデファイしたもの。丸みをおびたラウンド型クッション仕様のモデル、LC3ソフトもある。
- LC4「シェーズロング・ア・リグレージ・コンティニュ」 傾きが連続的に変わる寝椅子。伝統的なロッキングチェアに変わるまったく新しい安楽椅子。コルビジェは「休息機械」と呼んだ。
- LC5「デイベッドソファ」 コルビジェが、自分の為に作ったもので、製品としては流通しなかった。シンプルでダイナミックな重厚感がある。背のクッションはパイプに沿って回転し、ソファ兼デイベッドになる。
- LC6「タブルー・デ・アビヨン」テーブルの脚として航空機用の既存鋼型材を使用することを考えていた。「Table of aeroplane」(飛行機部品で作り上げたテーブル)
- LC7「トゥールナント」 ダイニングやレセプション用に設計された回転椅子。背もたれと肘掛が一体化しており、360度旋回する。肉厚の小型椅子。
- LC8「タブレート」 正式名称はトゥールナント・タブレート(スツールの意)。LC7から背もたれを無くしたものである。
- 浴室用スツール
- LC10「タブルー・デ・クリスターロ」 ル・コルビジエとピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンがデザインしたあらゆる家具にマッチングさせるためのテーブルシリーズ。高さによって、ソファ、ダインニングチェアに組み合わせる。シンプルで無機質。
ル・コルビジェの代表建築
- ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
- クック邸
- サヴォア邸
- ロンシャン教会
- ラ・トゥーレット修道院
- ユニテ・ダビタシオン
- 東京国立西洋美術館(基本設計)
- フランスからの松方コレクション返還に際して建設された。コルビジェは設計のため一度来日し、基本設計をまとめた。実施設計は弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が担当した。
- 小さな家
ル・コルビジェの著作等
- 輝く都市(邦訳:鹿島出版会SD選書)
- 新しき芸術
- 伽藍が白かつたとき(邦訳:岩波書店)
- 建築へ(建築をめざして)
- 今日の装飾芸術
- 住宅と宮殿
- モデュロール
Modern Plus Design Room